原発問題の本質を解き明かす

原発問題は推進派にしても反対派にしてもにっちもさっちもいかない状況になっています。

推進派が「原発は国策」「原発は経済に必要」と訴えますが、その意見の正当性は福島の事故がすでに奪ってしまいました。これだけ広範囲な被害が出れば国策として推進するのは不可能ですし、経済的損失も数兆単位ではすまないでしょう。
反対派が「直ちに原発を止めるべき」「原発がなくても電力は足りている」と訴えても、電力会社は運転を止める気配がありません。

なぜなのか?
それは国策として原発を進めた結果、原発関連の組織が聖域化して政府も電力会社もコントロールできなくなっているからです。

ここから「日本電力産業のダイナミズム」(橘川武郎 著)を参考に、原発の歴史の私論を述べます。

1955年に「原子力基本法」が制定され、日本での原子力開発が始まりました。1963年に東海村の実験炉で初めて発電に成功し、1966年から商用の原発が始動しました。
転機になったのは1970年代に起きたオイルショックです。石油などの化石燃料が不足する危機が日本を襲い、国策として原子力発電を推進する方向に舵を切りました。

1985年にチェルノブイリ原発事故が起こり、世界各国で原子力を避ける動きが強まりました。日本でも建設反対運動が起きたり、小規模の原発事故に対する批判が強まる、ということが起きました。
それに対して、電力会社は透明性を高めるのではなく、問題を隠蔽する方向に走ってしまいました。そのひずみで、東京電力は前社長、前々社長が共に原発問題で引責辞任しています。
隠蔽体質について、橘川武郎はこう指摘しています。「社長が責任を負うのは当然だが、問題の存在については社長ですら知らされていなかった可能性がある。それだけ原子力については電力会社内部ですら聖域になっているのだ」。


つまり、経産省エネルギー庁、電力会社の中で「聖域」ができてしまい、批判も検証できない体制になっていたのです。だからこそ、福島第一原発の安全性も見直されることなく来てしまったのですし、事故初期のベント・海水注入に関しても誰も責任を負って判断することができなかったのです。今回の事故は原子力の聖域化による安全性検証(危機想定)の欠如と、危機における統治・責任の不在によって起こった人災です。ロイター3/30の記事では今回の事故が電力会社・省庁の癒着を90年代の金融危機に似ている、と指摘しました。90年代の金融危機も、銀行・大蔵省の馴れ合いとその馴れ合いに口を出せない聖域化が招いたことでした。

では、この事態をどう打開すべきか?
もちろん、国民多数の意見として原子力の聖域を解体させることが必須です。それは原子力推進・反対に関わらず必要なことです。

では、その手段とは?
橘川武郎は「原子力発電の国有化」を提案しています。
たしかに、電力会社が多額の投資を行った原発廃炉にしたり運転停止にするのは経済的に困難を伴います。
経済的な合理性を伴って原発の国有化を行うことには、電力会社も反対しないのではないでしょうか。国有化した上で、原発の処遇を国民的議論に基づいて決定すべきです。原発問題にずっと欠けていたのは、国民の意思決定の反映ですから。

2011年04月04日のツイート