脱原発の主張(2) 原発推進派の主張への反論

「原子力発電 推進派の主張」という記事で、推進派の主張を4つ挙げました。

1 原発は日本経済にとって必要である。
2 原発は国策と推進してきたから、安全性を高めればよい
3 原発はコストが安い
4 資源のない日本は原発に頼るべき

これに対しての私の反論を述べたいと思います。

1 原発は日本経済にとって必要である。

まず、原子力発電がこの国の電力供給にとって不可欠か。
いいえ、そんなことはありません。
「原発を止めてしまったら、電力が不足する?」の記事で述べたように、原発を止めても電力は不足しません。
また、世間ではあまり知られていませんが、日本は太陽光、風力、地熱発電ですでに高い技術力を誇っています。発電量のシェアが少ないのは、既存の電力会社が多額投資をした原子力発電を軸に発電システム構築を考えているからであって、日本の技術は他国で多いに実用化されています。

「日本経済にとって原発は必要」と訴えるのは現状、というよりも原発事故前の状況だけを見ていて、原発に代わるエネルギーが入手可能なことについて目を背けている意見です。


2 原発は国策と推進してきたから、安全性を高めればよい

たしかに原発は国策として推進してきた側面があります。しかし、それは国民の多数の意見を元にして国策となったものではありません。そして、その国策はチェルノブイリ事故、東海村原発事故、柏崎刈羽原発事故など重大な事故があった時、国民に問い直されることもありませんでした。安全の再検証も行なわれないまま「日本の原発は安全」という主張が繰り返されてきたに過ぎません。

日本の原発は恐ろしく甘い想定のもとに建造されたことは福島第一原発柏崎刈羽原発が証明してきました。また、地震時に発生しがちな電源喪失の対策も実に頼りないものであることが4月7日の余震で明らかになりました(参照:頼りない命綱 安全に疑問 女川原発、冷却一時停止)。そして、重大事故が起きたときの高放射線環境下でのノウハウが全くないことも明らかになりました。はたまた、福井県高速増殖炉もんじゅ」の事故のように、「設計ミス」というありえない事態で重大な事故が発生することがありうることも私たちは知ってしまいました(参照:もんじゅ落下事故の経緯)。

日本の原発の安全性は、地に落ちたと言ってまちがいありません。


3 原発はコストが安い

原発推進派が主張する「原発のコスト」には、以下のことが抜けています。

a. 国民、電気利用者への負担転嫁
b. 事故に備える保険金、損害賠償積立金
c. 核燃料の最終処理に費やされる費用

aは、電源三法で認められている電源開発促進税が電気料金に上乗せされたり、国から原発施設開発に対して多額の補助金が支払われていることを指しています。

bは福島第一原発の事故により、事故が起きた場合の保険金や損害への賠償金積立金が飛躍的に増加することを予測して、指摘させていただきます。現在の時点で損害賠償金は10兆以上と言われており、今後事故処理が長引けばさらに増えることは容易に予測できます。

cはいわゆるバックエンド費用のことです。使用済みの核燃料でもっとも厄介なのはプルトニウムで、Pu239は半減期が約2万4千年、つまり10万年単位での保存・管理が必要です。通常の原発であるウランによる軽水炉発電でもプルトニウムは発生しますし、プルトニウムを含むMOX燃料ならプルトニウムはさらに増えます。もんじゅのような高速増殖炉でも大量のプルトニウムを生みます。
電力会社はバックエンド費用を積み立てていると主張していますが、積み立てているのは最終処理場の建設費用の一部のみであり、運営費用はもちろん含まれていません。

以上、三つのコストについて、原発推進派はもういちど計算し直す必要があります。

最後に、他の発電方式のコストについて簡単に述べます。
火力発電は「石油の価格が上昇」というのを懸念材料として挙げられています。しかし、最近の主流であるコンバインドサイクル発電はガスタービン、つまりガスを使用するタイプであり、石油は使用しません。天然ガス採取については開発が進み、ガス価格は2006年を境に下落傾向にあります。
再生可能エネルギーはここ十年日本で実用化が遅れていますが、実用化に向けて投資が進めばコストは必ず下がっていきます。そういった意味では、既存発電方式の圧力によって再生可能エネルギーのコストダウンが抑えられていた、という見方が可能です。今後、実用化が進めば進むほどコストは下がっていくでしょう。


4 資源のない日本は原発に頼るべき

原発推進派は、原子力に使用するウラン、プルトニウムを資源と思っていない節があります。これらはオーストラリア、カナダ、ナミビアなどから輸入しています。また、MOX燃料(使用済み核燃料を加工したもの)はフランスから輸入されている、という報道が先日されました。エネルギー自給の観点から原発を推進するのはまったく見当外れです。
いままで、高速増殖炉の「もんじゅ」は核燃料の再利用という観点から「夢の原発」と喧伝されていました。しかし、上で述べたように最終的に残るプルトニウムの管理には莫大な費用がかかります。核燃料を「資源」と呼ぶ欺瞞の先には、大量のプルトニウムを狭い国土に抱えて困り果てる日本の姿があります。その日本に住むのは、原発推進をした人たちではなく、その子供、孫なのです。